スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- : スポンサー広告 :

久武哲也 前会長のご逝去を悼む

紙碑

久武哲也 前会長のご逝去を悼む                       

 本協会前会長で甲南大学教授であった久武哲也氏が、胃ガンによる約1年半の闘病後、2007年7月27日に自宅で逝去された。享年60歳で本協会のみならず地理学界全体にとってもこのような早逝は残念でならない。ここに紙碑の一文を刻み、哀悼の意を表する次第である。
 久武氏は、1947年2月に熊本県鹿本町に生まれたが、この郷土がその後の研究だけでなく、生き方までも大きく規定していたような気がする。熊本県立鹿本高校を卒業後、1966年に京都大学文学部に入学、その後大学院文学研究科修士課程・博士課程地理学専攻を修了し、1976年4月に京都大学文学部地理学教室の水津一朗教授のもとで助手となった。
 1977年に、大学院時代から非常勤講師を勤めていた甲南大学文学部の講師に着任するが、兵庫地理学協会との関わりは、当時、甲南大学教授で本協会の元会長であった故・村上次男先生の勧めが作用したと思われる。翌年、神戸市外国語大学助手に着任した筆者も、村上先生の勧めで入会した記憶が鮮明に残っている。このあと、甲南大学講師、助教授、さらに1990年には教授へと順調に昇進し、1997年4月から1年間はハワイでの在外研究に従事、2004年4月から2年間は文学部長の重責を全うした。この間、本協会では、集会委員、庶務委員、評議員などを務めたあと、1999年に副会長、2000~02年に協議委員、2003年5月からは高橋眞一会長の跡を継いで4年間会長を歴任した。
 研究面では恵まれた才能を遺憾なく発揮して、多方面に亘る業績を残しているが、主要テーマはアメリカ先住民の絵地図研究及び文化地理学学説史に集約できよう。前者は親族がアメリカへの移民であったことが契機となったと聞いているが、自らのアメリカでのフィールドワークに基づき、オリジナルな絵図分析と人文主義的解読を試みており、先住民文化への深い愛着が魅力となっている。後者は膨大な引用と注記を伴う大著として完成しており、「20世紀後半型」学説史研究の到達点を示している。惜しむらくはこうした文化地理学の現代における意味とその21世紀への展望、ひいては危機にある地理学界への方向性を明示してほしかったが、その構想や思索は封印されてしまうことになった。
 個人的には、折しも紛争の渦中にあった大学での1年先輩として、それ以後40年近い交誼にあずかったが、紛争中でも比較的冷静に状況を読んでいたのが印象的であった。元活動家が体制に媚びる現在において、むしろ「学問闘争」としての大学紛争を志向したと思える久武氏の軌跡を、その業績の中から正確に記録しておく必要も痛感する次第である。
 久武氏と最も密な討議を行ったのは、『地図と文化』の編集時期であった。手元のメモによれば、1987年10月24日から始まった編集作業は、89年1月28日まで計23回に及び、そのほとんどをJR大阪駅構内の喫茶「Calm」で行った。約束の時間から常に15分ほど遅れて姿を現したが、一杯のコーヒーで2~3時間粘って編集方針や内容検討、さらに割付、校正までも続けたのである。89年4月にようやく刊行に漕ぎつけたものの、図版印刷のミスであと6回の打合せを要した。その後の改訂増補版の編集でも計27回の協議を、「Calm」を主舞台として重ねた。
 2006年2月、関西学院大学の田和氏御尊父のご葬儀の折に、人文地理学会公開セミナーの委員長を依頼した時点では、文学部長の2年間の職責を全うすることになり、春からは国内研修で研究に没頭することができると、静かな闘志を見せていた。しかしその直後の3月に胃ガンで倒れたことを知った。もっとも初期ガンだったため手術後の5月に、本協会の例会・総会にも会長として出席していたので、安心していた。浸潤により再入院するとの電話があったのは2007年1月15日の夜であった。その折も検査入院であると語っていたが、その後6ヶ月間は病院と自宅での闘病がつづき、ついに本協会の例会にも姿を見せることなく不帰の客となったのである。あとに続く世代が、氏の業績を継承、発展させていくことを祈らずにはおられない。今は心からのご冥福をcalmにお祈りする次第である。
(長谷川孝治・神戸大学人文学研究科)

【久武哲也教授主要業績目録】

<著書>
1.『地図と文化』(長谷川孝治と共編著)
(地人書房、1989。増補改訂版1993)
2.『日本における文化地理学の展開』
(福武学術振興財団、1991)
3.『文化地理学の系譜』 (地人書房、2000)

<論文>
1.「近世肥後藩の村落構造とその展開-玉名郡中富手永を中心に-」  (『史林』52-3、1974)
2.「岩絵地図と砂絵地図-アメリカ原住民の空間認識とその土着的表現様式-」
(『甲南大学紀要 文学編』32、1979)
3.「バークレー学派の転回期と潮流-サウアーにおける『景観の形態学』をめぐって-」
(『甲南大学紀要 文学編』35、1980)
4.’Sand painting maps and rock painting maps’
(in Geography Institute, Kyoto University (ed.) “Geographical Languages in different
Times and Places”, Kyoto University, 1980)
5.「文化景観のランガージュ(Ⅰ)・(Ⅱ)―バークレー学派の場合-」
(『甲南大学紀要 文学編』39・43、1981・1982)
6.「岩絵と砂絵の地図学」
(京都大学文学部地理学教室編
『地理の思想』所収、地人書房、1982)
7.「亀と風(Ⅰ)・(Ⅱ)・(Ⅲ)―オジブワ族の地図的世界像」
(『甲南大学紀要 文学編』47・63・67、1983・1987・1988)
8.「Old Song Now―外国研究の意味を問い直すこと」        (『地理科学』40-1、1984)
9.「北米原住民の地図と分類-オジブワ族の事例から-」   (水津一朗先生退官記念事業会編『人文地理学の視圏』所収、大明堂、1986)
10.「アメリカ文化地理学の成立と発展」
(『人文地理』39-4、1987)
11.「アメリカインディアンの聖なる絵巻物-オ
ジブワ族の絵図とコスモロジー」
(葛川絵図研究会編『絵図のコスモロジー・
下巻』所収、地人書房、1989)
12.「アメリカ原住民の環境観とコスモロジー」
(日下 譲編『環境と文化』所収、甲南大学、1992)
13.「サトウキビとタロ芋(1)・(Ⅱ)-ハワイ
諸島の生態環境と水資源の利用形態-」
(『甲南大学紀要 文学編』86・90、1993・1994)
14.「探検とトーテムの間に(Ⅰ)・(Ⅱ)―H.R.スクールクラフトの北米先住民地図研究―」(『甲南大学紀要 文学編』94・98、1995・1996)
15.’Recent developments in Japanese cultural geography, 1980-1995’,
(“Geographical Review of Japan” 69-1, 1996)
16.「「未開人」の地図学史(Ⅰ)」
(『甲南大学紀要 文学編』102、1997)
17.「文化地理学の成立過程-18世紀末から20世紀初期まで-」
(『甲南大学紀要 文学編』109、1999)
18.「ハワイは小さな満州国―日本地政学の系譜―」 (『現代思想』27-13・28-1、1999・2000)
19.「近代日本における環境史研究の一断章-山本徳三郎論ノート-」(皆見和彦との共著)、
(『甲南大学紀要 文学編』113、2000)
*以後、メインタイトルは変えながら、山本徳三郎論ノート(Ⅱ)~(Ⅷ)(『甲南大学紀要 文学編』117・124・129・134・139・144・149、2001~2007)として刊行。
20.「サウアー:異文化への関心と観察」
(竹内啓一・杉浦芳夫編『20世紀の地理学者』
所収、古今書院、2001)
21.「移民の適応戦略とエスニック間の分業」
(『歴史地理学』45-1、2003)

☆ 紙幅の関係で、代表的業績のみに限定した。
2008-05-26 14:02 : 学会誌・兵庫地理の編集よりお知らせ :
« next  ホーム  prev »

プロフィール

兵庫地理

Author:兵庫地理
1947年創立。「兵庫地理」を毎年発行。兵庫県下の地理学の研究・教育に関する協会。
公式ブログです。

月別アーカイブ

FC2カウンター

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

QRコード

QRコード

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。